生駒山上

奈良は気持ちの良い天気。午前中から生駒山上へ、景色最高。

その後THROAT RECORDS出勤。

今日は昨日の大阪ライブ現場の戻り途中に奈良に寄ってくれたリンキーディンク/天狗興業の小牟田玲央奈氏とTHROAT RECORDSにて打ち合わせなど、ついでに店番もやってもらう。

天気が良いと仕事も捗る。

BGM : Otis Redding / Otis Blue

 

 

元の鞘

午前中からスタジオにてアルバム制作作業の続き。作り直していた曲が色々捏ねくり回した結果、最初のバージョンが良いというところに落ち着いた。自分達にしかわからないことなのかもしれないが、色々試した結果元に戻ったという経緯が出来上がったものに滲むように思う。

 

スタジオ作業終了後、THROAT RECORDSへ出勤。いつの間にか春になった、ここ最近暖かい日が続くので気持ちが良い。

 

今日は少し早めに店を仕舞って大阪心斎橋へ。ライブを観に行く、欽也君とアユのツアー大阪編。飲み過ぎないように注意しないといけない。

 

 

CD文化を再考する

過去にも何度か取材でお世話になっている音楽情報メディアStrike A Chordからの提案で、昨年クラウドファンディングで立ち上げられたプロジェクトから発売になったCP1というCDプレーヤーを作っているkm5の船山さんと対談することになった。どんなプレーヤーなのかは記事内で触れられているので割愛させてもらうが、興味深い話を聞くことが出来たと思う。

 

Strike A Chord : A Music Site 

【音楽×モノづくり dialogue】今ここでCD文化を再考する ― LOSTAGE meets Instant Disk Audio - CP1 ―

https://strikeachord.amebaownd.com/posts/42012534

ちょうど今LOSTAGEのアルバムの制作期間中ということもあり、自分はなぜCDを作ってそれでわざわざ聴いてもらおうとしているのかを改めて考える良い機会になった。読んでもらえればわかると思うが、CDが音楽を届けるための手段のひとつとして他の配信やレコード等に比べて優れているとは思わない(もちろん劣っているとも思っていない)。世の中の流れに逆張りしているわけでもない。ただ単純にこうやって作って、こうやって届けることにやり甲斐を感じでいるからやっている。

目的地までの近道を知っていてその道を皆は使うけれど、遠回りだが空いていて自分のペースで歩くことができる道があるのでそこを歩いている。時々休憩したり、景色を眺めてみたり、そんな感じで歩くのが自分は好きなので。最近はメディアの煽りなんかもあってレコード人気の話題が取り沙汰されることが増えたが、それによって中に入っている音楽にピントが合っていない気がする。

音楽は楽しい、それが伝われば入れ物の形はなんでもいいのではないか。あくまで自分にとって熱伝導率の高いメディアがまだ今はCDだということなのだと思う。

船山さんの話を聞いていて自分の店でもこのプレーヤーを取り扱わせて欲しくなり、対談終了後にお願いしたら快諾していただけた。自分でも使っているがお気に入りのCDの歌詞カードをケースから久しぶりに取り出し、プレーヤーのカバーにセットして壁に掛けて聴きまくっている。レコードをターンテーブルに乗せる時のような面倒くささがあり、これから音楽を聴くぞというなんとも言えない高揚感がある。この一手間の愛おしさと向き合いながら、これからも自分達の作った音楽を届けていきたい。

いろんなお店やオンラインショップで買うことが出来るのでTHROAT RECORDSでの購入でなくてもお気になさらず。取り扱い店舗の店頭で実物を見て、触って、もし気に入ったら購入してもらえたらと思う。当店でも本日より販売開始、何卒。

 

THROAT RECORDS ONLINE SHOP

https://throatrecords.ocnk.net/

 

km5 OFFICIAL SITE

https://km5.co.jp/


アルバムとジャケット

午前中からスタジオE♭にてアルバム制作作業の続き。曲の展開にまだ納得いかない箇所がいくつかあり、色々試して良くなった曲とまだ良くなっていない曲がある。時間から溢れた分は各自持って帰って次のスタジオまでの課題に。月末から始まるレコーディングまでにやることが多い。だからといってそればかりやっているわけにもいかない。

スタジオ終了後、THROAT RECORDS出勤。

客足は少なめであったが、常連さんと今作っているアルバムジャケットのイメージに繋がる話が出来た。仕事のような仕事でないような時間、どこからどこまでがアルバム制作の時間かという線引きはない。自分というフィルターを通過する全てのものが作品の一部であり、そういう意味では店も人間関係も全部自分の関わった作品であるといえる。

今もそれを作っていて、いつまでも未完成。途中経過であり続けるために、作った音楽を録音して記録する。分厚い人生という本に付箋を貼るような作業。自分にとっては録音された音楽作品というものはそういうものだ。思い出の写真が並ぶ冊子も音楽情報の入ったディスクも同じ。その時々の今を切り取って貼り付ける、それがアルバムというものである。

常連のお客さんに2冊あるのでと頂いた本。読みながら、今作っているアルバムのジャケットデザインのイメージを膨らませている。

今日は店が休みだった。はずだが、間違えて出勤していた。とはいえ、やることはあるのでシャッターを閉めたまま仕事をしていた。店に居るのに閉めている意味はあるのか。

 

悔しいので定時まで仕事をして今から帰る。

 

自営業の人にわかってもらえるかもしれないが、上手に休むのは難しいものだ。

A.I.に任せて遊んだら〜♪

昨晩、酒を飲みながら携帯でApple Musicを立ち上げ、小型のBluetoothスピーカーから音楽を聴いていた。

自分のお気に入りを聴くのに飽きる頃、携帯を弄っていると便利なものでアプリが最近聴いている音楽の傾向から利用者の好きそうな音楽を探して勧めてくれる。おそらく過去の視聴履歴を元にA.I.が好みを割り出しているのだろう。ということはこのアプリを使えば使い込むほどその精度は上がっていき、勧められる音楽が利用者にハマる確率もどんどんと上がっていく。好みの音楽が自動的に選曲されて流れてくる、余計な試し聴きをする必要もない。月額1000円足らずで好きな感じの音楽が自動的に再生され続ける、合理的でコスパも良い。

こう書くと非の打ち所がない仕組みのように思えるが、それでいいのかという気もする。

自分が死ぬまでに音楽を聴く事に割ける時間的なリソースの限界があるとして、その全てが自分好みのものに割り当てられていくというのは正直コスパが良いというより音楽体験としては貧しくなっていってしまうのではないか。アプリに勧められた音楽しか聴かないという人などいないとは思うが、世の中は確実にそっちの方に向かっている。フィルターバブルやエコーチェンバーのような問題は何処にでもあって、細分化されたコミュニティや分断されたレイヤーの中で迷子になり生気を吸い取られていくというわけだ。

意味がよくわからないもの、全然良いと思わないがなんとなくどこか気になるもの、むしろ聴いていて不快なもの。こういう音楽はたくさんある。そんなものを聴かないといけない理由などどこにもないが、そういったものと接することで豊かになる感性や感覚があるのではないか。

情報のアーカイブから割り出された最適解の精度がこれからどんどんと上がっていくことで消え去ってしまうものがあるかもしれない。便利で快適な暮らしには中毒性と耐性があり、一度慣れると二度と元には戻らない。最近話題になっているChat GPTのニュース記事なんかを読んでいると余計にそう思う。一丁前に世の中のこれからを憂い、そしてそんな心配事もこれからはA.I.が解決してくれるようになるのかもしれないと開き直ったりしていた。

先日下北沢で共演した井乃頭蓄音団は「A.I.に任せて遊んだら〜♪」と歌を歌う、多分、聴き間違いでなかったら。あれ以来、時折脳内をリフレインする耳にこびりつくメロディとフレーズ。

人間は間違える、駄目な生き物である。それを経て成長する、故に人間であるとも言える。最適解はA.I.に任せて我々は間違えながら遊びたい。

今日、朝から奈良は天気が良く暖かかった。早めに家の用事を済ませてよく行く園芸ショップへ。暖かくなってきたからか園芸ショップの店頭には生命力が漲っている。一通りチェックして観葉植物や野菜の種、最近壊したスコップの新しいもの、肥料や土を購入。買ってきたペラルゴニウムビオリフロルム(なんという覚えにくい名前)を鉢に植え替えて眺めていると、A.I.の話などどうでもいい気がしてくる。彼らは生きること以外なにも考えていないようで。

日曜日

日曜日で来客多め、ありがたいことである。あっという間に営業時間が終了した。開店準備で店の前を掃除している時、店の入っているビルを見上げたらいい感じの青空が広がっていた。春の空だ。味があって良いビルだが築何年かは不明、いつまでここで店がやれるだろうか。

営業終了後、オンラインショップの商品梱包作業をしているとカッターナイフの先が折れて店内のどこかへ飛んでいった。行方不明なので探している、刃物なので危ない。探している時には出てこず、忘れた頃に出てくる。そういうものがたくさんある。