書籍化

ツアーに纏わる日記を書きそれを書籍化、一冊の本にまとめようと思っていた。

そのためにブログ以外のところに日記をまとめていたが、それをやることによってブログの更新が止まってしまうのもどうなのか。そもそも、ブログを見やすくまとめるために年間契約の有料版にして使っているのに更新を全くしないとそれ自体の意味がなくなる。どうしたものか、というところに今いる。

せっかく長いツアーをやるのだから、まとめたものを本にしたいと思った。それ自体は良いアイデアだと思うが、それをやることで失われるコミュニケーションがあっては本末転倒な気もする。

各地のライブに関するところだけをまとめて本にするとして、それ以外の日常は今まで通りブログに綴っていく方がいいのかもしれない。毎日の日記を全部まとめると情報量も多すぎて一冊にまとめられない可能性もある。なんとなく徒然と書いた文章の中にもいいものがあったとして、それは後で抜粋するなりなんなりすればよいのか。

短文のSNSにも今はあまりピンときていないし、書籍化という仕事も年間スパンの大仕事になってしまうので何を書くのかの焦点を絞らないと内容がどんどんぼやけていってしまう。一口に文章を書くといっても色々ある。

1年かけて回るツアーがあっても、その間ずっとバンドのことをやっているわけではなく、どちらかといえばそれ以外の時間の方が多い。言葉や文章にも食べ物のように鮮度というものがあって、新鮮な方が美味しいということがあるように思うのだ。特にエッセイや日記のようなものは鮮度が大事である。同時代感のようなものが共有出来た方がいい。本にして区切る、それをまとめる意味があるとするとそこにはテーマが必要で、それはどういうものだろうか。書き進めていくうちに決まってくるものだろうか。まだ始まったばかりなので、なんともいえないがとりあえず書き溜めておいて後で考えればよいかな。

昨晩、前から気になっていた"PLAN 75"という映画を観た。

近未来の日本(多分)が舞台の安楽死を題材にした現実よりもリアルなフィクション作品である。少子高齢化が進み国内労働力の不足からくる外国人労働者の増加、今後確実に更なる社会問題化が進んでいくテーマを取り扱った作品だけに最初から最後まで重苦しい空気が充満していた。生と死について考えるとき、その生と死は自分のものなのか。よりよく生きるということはどういうことか、自分の死は果たして誰のものなのか。生きることについて考える時に、死について考えることは誰しも避けて通れない。

テレビやネットで人気の経済学者による「高齢者は集団自決すればいい」という発言が少し前に物議を醸していた。生と死が自分と切り離されたような、体温の失われた冷たい機械の言葉のように思う。この映画には救いはないかもしれないが人肌の温度を感じることが出来る。

堂々巡りでなかなか先に進むのが難しそうなテーマではあったが哲学的示唆に富んだ分厚くヘビーで濃い映画だった。

昨年9月、安楽死(自殺幇助)でこの世を去った映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダール享年91歳。人の一生が終わるまでの長さというか、重さというか、濃さというか。43歳の自分にはまだ全然、難し過ぎる。