取材

今日は店の営業前に店内で取材を受けることになり、新聞社から新聞記者の方が来店。以前からLOSTAGEのライブにはよく来てくれていたようで、奈良を拠点にしたバンド活動とこの店の話や今後の展望など。楽しく話をさせてもらった。
インターネットが普及してから新聞を手に取ることはなくなってしまったが、新聞でしか届けられない情報というものがある。最近は新聞もウェブ展開しているところが多くなったようだが、紙とはまた趣が違い情報が届く層も違いそうだ。おそらく新聞も他の業界と同じようにデジタルとアナログのバランスを時代の変化に合わせて試行錯誤しながら作っている、といったところか。
他人事ではない話だが、かといって新聞の紙面には自分のような者はお呼びでないと思っていた。あまり考えたことがなかったが、新聞に自分の記事が掲載されるのは照れくさい気もするし、ちょっと誇らしい気もする。
 
子供の頃、朝の新聞をポストに取りに行くのが学校に行く前のルーティンだった。親父が朝飯を食いながらテーブルに広げていた新聞のことを思い出す。そういえば親父が消えてから、うちは新聞を取るのをやめたのだった。
30数年前に置き去りにした息子の記事をある日の新聞でたまたま目にする、みたいなことがあるかもしれない。読まれた後は割れ物の緩衝材にでも使われて捨てられるような儚き紙媒体にも宿る物語があったり、なかったりするのだろう。小瓶に仕込まれ海に放たれた手紙のようなロマンチックなものだ、なんだかとてもいいじゃないか。
 
最近は情報の届け方をやたらとコントロールしたがる輩とコントロールされたがる輩が多い気がするが、なんでもかんでも思い通りに事が運ぶ世界は本当につまらない。
宛先を書く前の、手紙になる前の手紙を皆もっと書けばいいのにな。