履歴書

今日仕事の時に客席に履歴書の忘れ物がありました。悪いとわかっていながら中を見ました(ごめんなさい)。
40歳の男性の履歴書で学歴や資格技能、家族構成や今までの職歴が書いてありました。専門的な言葉が多かったのでそれが何を表しているのかはわかりにくかったんですがおそらく何か設計に携わる仕事だったと思います(CADとかそういうのが書いてあったから)。
その男性の過去40年間がその紙一枚の上に乗っかっているような そういう気持ちになりました。ズシリと重い紙でした。
自分の27年間、履歴書の書き方もろくに知りらずに生きてきましたがもし仮にうまく書けたとしてもそれはおそろしく軽い。何もない、何も出来ない、何の技術も才能もない、このままでいいのか俺は!と本当に冗談抜きに不安感におそわれて気が狂いそうになりました。と ここまでは今までもよくある事で、気付けばそんな気持ちも忘れてしまう事がほとんどだったけどなんとなく今回は違う。そういう気がします。
理由は自分の年齢的な問題なのかもしれないし、仕事の事や生活環境の事なのかもしれないし、人間関係の事かもしれない。でもそれが今自分の関わる音楽の事からの影響じゃない事はわかる。漠然とわかる。
最近人に「お前は音楽に依存しすぎてるんじゃないか」という事を指摘され少なからず気にしていた事で多分生活と音楽を切り離して考えるようになってたから。思えばどうしようもないときはいつも音楽に救われて、「ああ 俺にはこれがあるから大丈夫 他の事はもうどうでもいいよ」と思ってたふしがある、別に大袈裟じゃなく。
今までこんなに一つの事にのめり込んでやった事なかったし NO MUSIC NO LIFEのキャッチコピーのまさしくそれです。だからこそそれをアピールするのは心底嫌だと思うし そういう人間を軽蔑するのかもしれない。
音楽がなかったら生きていけないような人間には絶対なりたくなかったはずなのにです。まだ間に合うならもっと視野をひろげて 他の依り所を見つけてみたい そしてその気持ちを忘れないようにしたい。
都合の良い音楽好きには本当に良い音楽は作れないに決まってるから。
それくらい音楽は純粋で美しく暖かく尊いものです。だから簡単に道具にしたり 金に変えたりしたら絶対駄目なんです。自分がこんなにも救われた音楽をそんな事に使いたくない。履歴書にミュージシャンと書ける事はそんな簡単な事じゃない。全ての音楽に関わる職業は聖職です。その自覚がない人は全員詐欺師です。
今のところ詐欺師の自分はこれから CADを勉強するか それとも依存するのをやめ そこから自分を見出だし真剣に向き合うか そのどちらかです。



ただの決意表明みたくなったね…(笑)。