繋がっている感覚

やっとバイトが終わって(今日は15時間働きました…)家に帰って来ました。もう自分の足が自分の足じゃない感じ。疲れてだるい、というより何か痛い。明日からまたライブ続きなので今日はこれやってさっさと寝ます。睡眠がやはり一番大事です。

話はそれますが、携帯電話やインターネットの普及で(今もうほとんど誰でも携帯もPCも持ってるし)誰もが常にオンラインな状態で生活していると思うんですが、その「いつでも誰かと繋がっている状態」というのが一体どういう事なのか。今日ちょっとそういうことを漠然と考えていたので自分用メモ的に。
この「いつでも誰かと繋がっている状態」というのはもう果てしなく便利なわけで、何か用があればすぐに連絡を取ることが出来るし、今リアルタイムで相手が何をしているのか分かる、しかも双方向で情報を受け渡しできるという一昔前では考えられない世界になってしまったわけです。これはどう考えても便利だとしか言い用がないと思うんですが、もうそういう状況ではなかった時に自分が どんな風に考えていたか とか思い出せないくらい麻痺してしまっているわけです。僕が高校生だった三年間は携帯電話もポケットベルもましてやPCなんかも持っていなかったんですが、その頃自分が一人でいるとき、一人で家にいたりどこかへ出かけたりしているときどういう感覚だったのか全く思い出せないという事に今日ふと気がつきました。今でこそ携帯電話が無いと不安に感じたりしますがそれは携帯電話を持っている状態に慣れきってしまっているからで、もうあのときの感覚は二度と思い出せないんじゃないかと少し怖くなりました。更にこれから先、生まれた時からそういう世界が成立している僕なんかよりもっと若い世代の人たちは僕がふと考えた今日みたいな事もまったく考えず生活していくと思うと、また怖くなりました。「便利な世の中になったなぁ。」という言葉の裏には常にそうじゃなくなったときの不安や心配が張り付いているという事は言わずもがなです。(という事についてblogにPCから書いている矛盾については触れないでほしいです…)

これから先「本当に一人の状態」になることってあるんでしょうか。今度休みの日に出かける時は一度携帯電話を家に置いたまま出かけてみようか、と思います。

この間、拓人(lostageギター)や仲間と飲みに行った時に突然「もう疲れた。」と言って携帯電話を生ビールのジョッキに突っ込んだ弟の気持ちも、わからないでもないです。



あ、でも別にこんな事ばかり考えているわけではなくて、今日は他にも「男の人はなぜオッパイが好きなのか」というテーマを漠然と考えたりしていたんですが、答えは出ませんでした。