脚下照顧

今日も朝からスタジオ、明後日のライブに備えてセットリストの確認と新曲の練習。準備した歌詞は思ったよりいい感じに演奏に乗ったのであとは身体に覚えさせていけばもっと良くなると思う。

アルバム制作と並行してその販売方法やフォーマット、価格設定などについて再度見直している。制作とリリースのタイミングが決まってからメンバーや関係者と相談し「このやり方でいきましょう」という大筋は決まったが、それで本当にいいのかという迷いの気持ちはなくもない。

約6年前、現在のバンドの方針に舵を切るターニングポイントになったアルバム[In Dreams]リリース当時、音楽ライター石井恵梨子さんから受けたインタビューを読み直していた。こうやって6年も経ってから自分が受けたインタビューを自分事の確認のために読むことになるとはその時は想像もしていなかった。石井さんとこれをまだ読める状態で公開してくれているPIZZA OF DEATHの方々には感謝しかない。

改めて読んでみても、考えていることはほとんど変わっていなかった。

変わらずにいることが良いことなのかどうか今の自分には判断できないが、間違いなく言えるのはこの6年の間に世の中は大きく変化したということだ。何か別のものに入れ替わった、と言ってもいいいくらいの変化である。音楽の届け方という普段自分の近くにあるテーマにおいてもそうだが、コロナ禍を経てというもっと大きな世の中のフレームの変化が今の自分達の活動に及ぼす影響はおそらくかなりデカかろう。前代未聞のデカさである。

アルバムのリリースというひとつの狼煙を上げるために奇を衒う、逆張って喧嘩を売る、みたいなことをやりたいわけではない。ここまでくると他人と比べ競うことにもはや意味がない。今は明確にある自分が誰に何を届けようとしているのかという具体的な目標に照準を細かく合わせていく、それをやっている。この部分が多分6年前と今との自分の中にある明かな差異だ。

インタビューの中で何度も問われる"閉じた世界"について。自分の回答はある種の諦念というか開き直りのようなムードを帯びている、当時は半ばヤケクソになって動いていた部分も今思えばあった。

その6年後の今、どちらかといえばマイナスイメージだった”閉じる”という言葉のニュアンスが変わったように思う。コロナウィルスの蔓延する閉じられた世界を経験したからかもしれない。加速するインターネットの激流(濁流?)に晒され続けた結果、感覚を開け放して暮らすことに疲れてしまったからかもしれない。なぜこうなったのかを検証するには時間がかかりそうだが、生きているのは今である。感覚を頼りにやるしかない。

 

どうやって”閉じる”のか。そのことばかり考えている。