続・歌詞について

前回2ndアルバムの製作の頃の日記にも書いてたと思うんですが、歌詞について。

前回は全てのレコーディングの工程が終了してからレコード倫理協会的にアウトな歌詞が見つかったためやむなく歌詞の変更が決定されたわけです。が、今回はそういうわけにもいかないので事前にその辺ある程度気にしつつ作詞の作業と担当者の確認とが繰り返されるわけです。やはり普通に作ってると「これはちょっと…」というような部分も少なからず出てくるもので…自分の場合は言葉の組み合わせの中になにかしらの刺激を求めたりすることが多いからだと思いますが。別にわざと誰かを困らせようというつもりで俺も作詞するわけではないので「これはちょっと…CDにして発売できないです」とか「これはちょっと…ラジオでは流せないです」とかそういう事があれば歌詞を書き換える事もします。
今になって思うことですがもし何年か前の自分であれば表現の自由とか自分の倫理観とかそういった事を優先させて「レコーディング前の作詞の段階で歌詞の添削はありえない」という事もあったと思うんですがそもそもメジャーの流通に頼って自分達の作品を世に送り出す事を選んだのは自分達であってそこで個人的なこだわりを押し通すのは矛盾していると気付いたというかずっと前からわかっていた事なんですが実感したというか。担当や関係者の「1人でも多くの人に聴いてもらいたい」「いい曲だからラジオで流したい」という熱意、自分の書いた歌詞によって(純粋に音楽として)その曲の扱われ方が変わるという事、その曲を演奏するバンドのメンバーの気持ち、そういった事を自分の中で自分のやろうと思っている事(時に自己中心的、わがままな、或いは天邪鬼な…)と天秤にかけた時のバランスが変わってきたんだろうと思います。
細かいことを言えばそのシステムの在り方に疑問を抱くことやそこに適応しないやり方という選択肢ももちろんあると思うんですが、それは今の自分や自分のバンドにとってベストな選択ではないというのがまずあって全てそこから始まっているわけです。だから「信念がない」とか「セルアウト」とかいう批判も甘んじて受け入れる覚悟は出来ているんです…というようなことをここに書くこと自体それを怖がっている証拠でもあるというのは認めないといけない事なのかもしれませんが…(苦笑)それはご愛嬌という事で。

前振りが長くなりましたがなぜまたそういう事を書いたのかというと1つは録音前の作詞の段階で歌詞を書き換えたというのもあるんですが(それは上の文章を読んでもらえばわかってもらえると思いますしそれが作品として完成した時点で100パーセント自分の書いた歌詞だと胸を張って言えます)、もう1つライブで「新曲、母乳です」とか言ってやってる曲のタイトルを変えることになりそうな気配が今あって、もう「この曲は母乳という曲だ」と自分でも思ってやってるしライブに来た人達も「ああ、この新曲は母乳という曲なんだ」というふうに捉えられてしまっているモノを今から変えるとなるとちょっとした違和感が生じてくるんじゃなかろうかという余計な心配かもしれないし単にそれはエゴだという事にもなってしまいかねない問題かもしれないけれどただ俺の「ちょっと聞いてくれよ」という…感じで皆は軽く聞き流してくれたらくれたらいいのかもしれない、その辺は皆に任せます。当然まだその曲を聴いた事のない人には全く関係のない話なんですが。
なぜタイトル「母乳」だといけないのか、それは俺もちょっとよくわからないんですが…大きな理由は最初の方で書いた「ラジオとかで流れにくくなる」というそういう理由。で、普通(俺の思うところの)かっこいいロックバンドであれば「ラジオで流してもらう為にタイトルを変えるなんてありえないタイトルは母乳じゃないとだめだ、タイトルは変えない、それがロックだ。Fuck you」とこうなるわけですがlostageとしてはそういう考え方も一応踏まえたうえで「ラジオで流れないと困る」とこうなったわけで目下タイトル検討中です。どうするか全然決まってないので困り果ててるんですが、だんだん「母乳…母乳…右のオッパイ…左のパイ…」と考えているうちに「そもそも何故母乳というタイトルにしたのか」という根本的な部分での疑問が浮かび上がってきました。多分母乳という言葉の響きや日本語の持つ意味や含み、ニュアンスなんかで選んだ言葉なんですけど…ぶっちゃけ意味とか理由とかそんなに重要でない場合の方が自分の中でしっくりくるというか。突き詰めるとすっごい複雑でめんどくさい話になってしまうんですが、結局は何のためのバンドか、何のための曲か、何のためのレコーディングか、とそういう話になってそれは自分のためである以上に誰かのため或いは他の何かのためであるような気持ちが今はすごくします。なので俺はごく自然にタイトルを考え直し別のタイトルで同じ曲を作品の中で発表しそして一人でも多くの人の耳にその曲が届くように準備したいと思っているのです。これを読んでいない人やライブでその曲に出会っていない人にとってはその曲が「母乳」という曲であったことはなかった事になってしまうんだけど、この曲は「母乳と呼ばれていた今は別の名前の曲」という事をほんとに小さな出来事ですけど俺は忘れないようにしたいと思います。あとレッチリのアルバムは関係ないということを。