黒瀬さんのこと

全ての人間、生き物達に同じように与えられたもの、最初に思いつくのが生と死だ。生まれて死ぬ、与えられ消えていく。それを平等と言っていいのかはわからないが、自分もこれを読む人も生まれてきて死んでいく。

 

午前中、スタジオでアルバムのレコーディングの残りを詰める作業をメンバーとやっていた。友人から着信があったので折り返すと、堺FANDANGOで音響の仕事をやっていた黒瀬さんの訃報。くも膜下出血、前触れもなく突然の死。メンバーとも話したが人はいつ亡くなるのかわからない。悲しいよりも先に驚きの気持ちが強く、話を聞いてからしばらくは実感もなくただぼんやりとした気持ちになった。

 

FANDANGOが堺に移転する前の十三時代から黒瀬さんにはお世話になった。お世話になったといってもLOSTAGEでライブをする時はいつも音響はKC君にお願いしているので、直接関わって自分達の出す音を一緒に作る作業をしたことは数えるほどしかない。KC君の仕事のサポートをしてもらったり、ステージの転換なんかを手伝ってもらっていた。ここで何か語るほど仲が良かったわけでもなく、FANDANGOに行くとリハーサルの時などに言葉を少し交わすくらいの間柄だった。

俺よりも1つ歳下で、ついこの間39歳になったばかりだったようだ。誰に対してもそうだったのかはわからないが、彼女はいつ会っても敬語を使って話さなかった。歳下なのに生意気な奴だなと口には出さなかったが心の中で思っていた。ただ、バンドのことや音楽の話は裏表の無い正直な、或いは遠慮の無い語り口がなんとなく信用できる感じがした。

彼女がLOSTAGEのことをどう思っていたのかはわからない。自分も彼女がどんな人間だったのかを何も知らない。

FANDANGOに行けばいつもいた生意気な音響スタッフにはもう会うこともなくなり、これからあの場所に行く度に彼女の事を思い出したりするのだろうか。

 

全ての人間、生き物達に同じように与えられたもの。生と死はほとんどの場合自分では何も選ぶことが出来ず、ある日突然やってくるものだ。与えられた命はなんのために今ここにあるのか知る術は無いが、今ここにあるものはどこかからやってきてそしていつか必ずどこかへいってしまうその流れの中にある。

この世界のどこかで今も何かが生まれ何かが死んでいる。星の数ほどもある、その物語のうち縁のあるものと出会い交わり寄り添いながら自分の暮らしは続いていく。生まれ出会い、消え去り失う。嬉しいや楽しいと、悲しいや寂しいがこれからも容赦なく毎日毎日繰り返されていく。今自分に出来るのは今日を生き明日を生き、この世から消え去るまでの毎日をただただ生きること、それだけだ。

 

黒瀬さん、今までありがとうございました。安らかに。